五色砂利を洗う

 庭に撒いたはずの砂利がいつの間にかなくなっている。そんな経験をお持ちの方もおられるのではないでしょうか?お寺の境内整備ばかり約50年続けていると、いろいろと無駄に経験を重ねることができます。今回は、五色砂利を再利用しようというお話です。

 「五色砂利」を購入した30年前は、寺院再復興の最中で敷地には「何もない」という状態でした。樹木もなく、駐車場も泥だらけ、お寺ではなく仮のお堂はとりあえず作ってはみたものの、庭も、墓地もない状態でした。

 何もないならとりあえず、今後の手間を考えると、石庭だ。ということで、敷地にブルーシートを張りまして、五色砂利を入れました。近所のホームセンターから20キロ入りの五色砂利を運び込みますが、軽トラの積載制限は350キロ。17袋しか載せることができませんので、何度も往復して敷き詰めた思い出があるからこその再利用です。

 ちなみに、ブルーシートを貼る理由としては、砂利が土の中にどんどん浸透してしまい、数年すると、土の庭に戻ってしまうのを防止する為と、雑草の繁殖を防ぐことが目的です。結果、見事に雑草の繁殖を抑えることができました。が、歳月の経過はすごいもので雑草はなぜか生えるようになります。

 ブルーシートは直射日光にあたらなければとても頑丈で、ほぼ劣化しません。よって、下からの土ではないのです。ではどこから来た土か?実は雨や風に運ばれて来た土が堆積し雑草の種とともにそこから生えてきます。こんなところでも大自然を実感し、「すべてにつながりがある(縁起)」というお釈迦様の言葉を思い出します。「その状態となるには原因と間接的な原因(縁)がある」その30年分の汚れを落とそうというのが、今回の作戦です。

 

ふるい(ステンレス製 園芸フィルター粗目)でざっくりと土や小石と分離。

コンクリートミキサー(まぜ太郎 amz-30y)に砂利と水を投入。

水は雨水タンクから(スイコーホームローリー500L)

砂利の移動には一輪車(ノーパンクタイヤ推奨だよ)を使用します。

 

3回ほど水を入れ替えながら、ガラガラと洗うことをくりかえすと、綺麗な状態に戻ります。水は泥水になりますが、土の部分にゆっくりと撒けば、土と水は自然に吸収分離されます。

 

 コツとしては、少量ずつ行うことです。石や水は自分の想定よりも重いものだということと、短期間で終わらせようと思わないこと。(と、自分の体力との相談です(笑))一輪車はノーパンクタイヤへ交換をおすすめ。欠点は積載時に少し重く感じますが、毎回空気圧を点検する必要がないのは利点。さあ、ゆっくり、やすみながら、楽しみながら自宅の庭いじりを、はじめてみませんか?

音を観る002

もしも心の中に観世音菩薩の力を信じて持っているのならば、欲望の火を消すことが出来る。これは煩悩を制する理智に目覚めるからである。

 若しも世の中という大海原の中で迷っても観音さまのように正しく見ることが出来れば災いを最小限にとどめることができる。

大火とは、人間の生命と共にある内なる煩悩という怒りや欲望の事で理性でコントロールのきかない状態になってしまう事。そんなときでも、観音さまの目線で理智に目覚めていれば、どんなに燃え盛ろうとも、それにふりまわされることなく、自らの煩悩を制することができる。

 

大水とは、世の中の難儀にさらされるという意味で、苦悩や不幸とは2つの角度からやってくる。内からの災いと、外からの災い。内からとは自分の心が作る苦悩や不幸のこと。 外からの災いとは、求めもしないのに自分のまわりの世界、外からやってくるさまざまな難儀や災難のことです。人間の作った善悪の観念と色即是空で表現されている存在の絶対法則とのズレがあるからこそ、正しく見る「正見」の理智が必要になります。正しく見ることができれば、世の中の難儀も最小限にとどめることができる。

ほうそく

長谷寺住職として文章を整えてみた。

 

ある時、お釈迦様は菩提樹のもとでお悟りをひらかれ、7日間結跏趺坐のまま解脱を楽しみ、次のような縁起の法則に思いをめぐらせた。

 

「これがあれば、これがある。

これが生ずれば、これが生ずる。

要するに、知らないから やってみる。

やってみたから、感じることができる。

感じたから、物や心を知ることができる。

物や心を知れたのだから、眼や耳や鼻や舌や身体や意識など、6種類の感覚を知ることができる。

6種類の感覚を知ったから、触ることができる。

さわることができるから、受け取ることができる。

受け取ることができるから、愛がある。

愛があるから、執着してしまい、

執着するから、心が揺れる。

心が揺れるから、いのちを知る。

いのちを知るから、生きること死ぬことや、心配することや、悲しみや、悩みや、絶望がある。

苦しさが集まるのは、こんな理由があるからである」

 

その時、お釈迦様は、この結果を知って、次のように要約した。

 

「情熱と本気で考え原理原則を知った時、私の疑問は晴れた。互いに影響していることが、縁起の法則だと気づいたからである」



 


以下が上記の元 (阿含経の日本語要約)


かようにわたしは聞いた。

あるとき世尊は、菩提樹のもとで正覚に成じ、結跏趺坐したまま7日のあいだ、解脱の楽しみをうけつつ坐し、次のように縁起の法を思いめぐらした。

 

「これがあれば、これがある。

これが生ずれば、これが生ずる。

すなわち、無明に縁って行がある。

行に縁って識がある。

識に縁って名色がある。

名色に縁って六入がある。

六入に縁って触がある。

触に縁って受がある。

受に縁って愛がある。

愛に縁って取がある。

取に縁って有がある。

有に縁って生がある。

生に縁って老死・憂・悲・苦・悩・絶望がある。

この苦の集積のおこりは、

かくの如くである」

 

その時、世尊はこの成果を知って、次のような偈をとなえた。

 

まことの熱意をこめて思惟する聖者に

かの万法のあきらかとなれるとき、

かれの疑惑はことごとく消えされり。

有因の法を知れるがゆえなり。


阿含経より。

諸法は無我で

20年前にいただいた カーオーディオを息子君が興味をもちまして、押入れの奥にしまってあった段ボールから部、屋いっぱいに広げていろいろ調べながら、接続を楽しんでいました。当時は有線があたりまえでしたが、これからは無線接続になっていくのかな?とおもいながら共に動作するかたのしみました。

 

https://youtu.be/9eTPqpnVlCc

 

動画練習をはりつけますが、テロップの修正方法がわからなかったり、知らないことはとにかく楽しいものであります。実物をつなげるたのしさと、パソコン内で動画の編集という実物のない世界も同時にたのしめるているこの時代をさらにたのしくかんじております。

 

諸法無我

 すべてのものは因縁によっておこるこの世の現象であって、実体がないということ。これを自分の中で租借できていないのか、自分の言葉でうまく説明ができていない。 すべてのものの 現在そこにある物は 過去の出来事があったから そこにある。 は、わかるけども、実体がない をうまく説明ができていない。「実体がない」を言い換えると、「見せかけだけの」となるのか?

 

https://hasunoha.jp/questions/7305

 

を読んでも、まだまだストンと落ちない。映像編集作業は実体がないが、実際に作成しテロップの入れ方(修正方法がまだわからないけど)も、実際に作りこむ(ことができていない)ことができる。そんなことを考えながら続けていると、やがで、すとんと納得できる日が来る。そしてやがて、しっかり説明ができるようになる。(のか?)言葉遊びにならぬように、本質を理解できるよう、知らない事を知るという楽しみは続く。

障子の調整

間借りしているお家は20年選手。いろいろ不具合もあって楽しさ倍増。今回は、障子の立て付けの調整です。日中は太陽光をとりいれたいので、障子を外したりするのですが、なかなか外れない。理由は、20年かけて、柱が縮んだことによります。形跡をみるとなんども調整をしながら今に至るようですが、今回は自分で実施します。用品は、のこぎりと、かんな のみ。動画撮影の練習もかねて携帯電話で撮影、その場で編集、そして、アップまでを練習しました。限定公開とか、設定の意味がわからないけども、とりあえず実施。ちょっとだけ、切り貼りした動画は、約20分を超えてしまい、UPは15分までと指定されたので、途中から、2倍速再生にして、ざっくり半分の時間に圧縮してみました。

 

https://youtu.be/1WhaWPlfvUw

 

テロップの入れ方とか消し方とか、学びがたくさんありました。練習としては上出来とおもったりおもわなかったり。

知る楽しさ

時代のながれが早くて、いろいろ学び続けております。今、興味をもっていることが動画配信ということです。若い頃は、本を読めと言われ続け、漫画を読むことなく育ちましたが、漫画のすばらしさは文章を画面として内容を補完してくれることで、それがなめらかに移行するのがアニメーションで、あにめには多大な努力が必要。もっと簡単にもっと早く伝えたいときに、動画の伝達力にいまさらながら衝撃を受けているところです。

 

https://youtu.be/p_6zohTqAHI

 

こんなことひとつ知らずに、今を迎えてしまった、それを簡単に伝えることができる時代なのにそれを活用しないことの方が悪いことなのではないか?とおもいはじめています。まだ、設定方法とかわからないことのほうが多く、しらべている最中ですが、動画配信はとても敷居が低くなってきていること、それをあらためてお寺の日常を通してよりよく生きる方法を素直にやさしく配信できるように、考えています。

 なやみすぎない。まずはやってみる。間違っていたら、ごめんなさいと、修正する。修正しながら進む、今まで通りの自分を出していけるように、あらためて、動画をつくってみたくおもいます。

 

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