ほうそく

長谷寺住職として文章を整えてみた。

 

ある時、お釈迦様は菩提樹のもとでお悟りをひらかれ、7日間結跏趺坐のまま解脱を楽しみ、次のような縁起の法則に思いをめぐらせた。

 

「これがあれば、これがある。

これが生ずれば、これが生ずる。

要するに、知らないから やってみる。

やってみたから、感じることができる。

感じたから、物や心を知ることができる。

物や心を知れたのだから、眼や耳や鼻や舌や身体や意識など、6種類の感覚を知ることができる。

6種類の感覚を知ったから、触ることができる。

さわることができるから、受け取ることができる。

受け取ることができるから、愛がある。

愛があるから、執着してしまい、

執着するから、心が揺れる。

心が揺れるから、いのちを知る。

いのちを知るから、生きること死ぬことや、心配することや、悲しみや、悩みや、絶望がある。

苦しさが集まるのは、こんな理由があるからである」

 

その時、お釈迦様は、この結果を知って、次のように要約した。

 

「情熱と本気で考え原理原則を知った時、私の疑問は晴れた。互いに影響していることが、縁起の法則だと気づいたからである」



 


以下が上記の元 (阿含経の日本語要約)


かようにわたしは聞いた。

あるとき世尊は、菩提樹のもとで正覚に成じ、結跏趺坐したまま7日のあいだ、解脱の楽しみをうけつつ坐し、次のように縁起の法を思いめぐらした。

 

「これがあれば、これがある。

これが生ずれば、これが生ずる。

すなわち、無明に縁って行がある。

行に縁って識がある。

識に縁って名色がある。

名色に縁って六入がある。

六入に縁って触がある。

触に縁って受がある。

受に縁って愛がある。

愛に縁って取がある。

取に縁って有がある。

有に縁って生がある。

生に縁って老死・憂・悲・苦・悩・絶望がある。

この苦の集積のおこりは、

かくの如くである」

 

その時、世尊はこの成果を知って、次のような偈をとなえた。

 

まことの熱意をこめて思惟する聖者に

かの万法のあきらかとなれるとき、

かれの疑惑はことごとく消えされり。

有因の法を知れるがゆえなり。


阿含経より。

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