はいて吸う

呼吸

 呼吸とは、はいて吸うということ。頭ではわかっているのですけども、深呼吸といわれると、そのままの状態で大きく吸ってから、吐き出してしまう。じぶんだけだろうか?

 呼吸の「呼」という文字の語源を、ネットにて調べてみた。口笛で人を呼ぶ状態を表した文字と書いてある。なるほど音を出す為には、息を吐きながら大声や口笛を鳴らさなければ届かない。しかし「呼ぶ」とは招き入れるという感覚から、「吸って吸う」と意味も調べずに勝手に勘違いしていた自分が居る。

 吐いてから、吸う。吐くと自然に入ってくる。肺を意識していない状態から、息を吐くと驚く程に空気が出てくる。出てくるとその分吸える。さらに意識して入れる?いや意識して吸い込むことができる。中途半端に残っていた空気は全部入れ変えることができる。これが呼吸であり、深呼吸です。

 現代は、あらゆる情報が流れこんできます。テレビをつければ、ニュースやコマーシャルなど自動で情報が流れ込み、目を引くようなやや過激な情報であふれている。新聞も同じように、少し過激な情報が書かれており、下半分は広告であふれている。情報を送る側には意図があり、その意図を持った情報で私たちは意識がいっぱいになってしまうと、自分で考えるのではなく、意図を持った情報でいっぱいになっている状態が自分の普通だと思いこんでしまい、余裕がなくなり焦りが生まれる。これは呼吸ではなく、吸って吸って吸う状態。良いわけがない。ならば、情報を吐く方法を知ることが大切。

 初めに過剰に入ってくる情報を制限するにはどんな方法があるか考えます。簡単に言えばテレビをつけないことです。しかし、すでにテレビをつけることが習慣になっているのでなかなな実行できません。ならば、ということで、アンテナ線をテレビから抜き、ノートパソコンの増設モニターとして使用してみると、パソコンでの作業が驚くほど快適になりました。テレビから自動で流れてくる情報を、自分で探しに行かないと入ってこない状態にすることができます。自分が必要は情報は自分で探しに行けばよいということです。

 この状態は 息を吸うでもなく吐くでもない状態。身体の中には今まで入ってきた意図を持った情報が残っています。その情報を一旦吐き出す方法を考えてみましょう。入力を極端に減らす方法。多くの苦行を重ねた先人たちが辿りついた方法。その一つが坐禅です。静かな場所で、静かに坐る。壁に向かって坐るからこそ、目からの入力が減ります。減った分だけ、耳に意識が集中します。いままで感じていなかった音が一斉に聞こえてきます。ひとつひとつ丹念に確認していきます。ん?冷蔵庫のモーターの音?換気扇?鈴虫の声。車が通りすぎる音、たくさんの音に気づきます。ゆっくり長く坐っていると、やがて慣れてきます。なれてくると、今まで聞こえていた音が気にならなくなることが不思議です。今度きになってくるのが、今までたくさん入ってきてたまっている情報を基にした心です。時間をかけて積み重ねた情報は、時間をかけて薄めていきます。一気に消そうとすると、ぼっこり起き上がってきますので、そこにある情報という心の動きには、そのままに触らないよう、ゆっくりとユッタリとすわり続けます。やがて薄まってくると、今度は自分の悩み事がでてきます。こだわっている事が出てくるのです。手放せない、責任感であったりします。もー。ぐるぐる回り始めます。どうしよう、どうしよう。って、それでもそのまま放置です。放置すればするほど、頭の中で答えがでてきます。その問題は自分ではどうすることもできない事。いや、こうしたらできるかな?そんな方向性が見えたら、悩みは行動に変わります。行動のきっかけが生まれたら、坐から立ち上がって実際にやってみる。やってみると悩みが結果に変わる。できた?できなかった・・。結果をふまえて、また坐ってみる。原因はなんだろう、なにが理由だろう。考えもしなかった理由がそこにあっただけで、ゆっくり想い返せばなる程ね。と実感できる。それをふまえて、こんどはどうしましょ?なんて勝手に考えが浮かぶ。立ち上がった時にやってみる。自分で考えているから、失敗も納得。他人のせいになすりつけることもできないから、凹むときは、盛大に凹むけども、それもふくめて、自分があるいてきた道そのものです。

 あふれる情報から一旦外れて、薄めて、浄めて、自分を見つめると、自分がやりたいことが見えてきます。さあ深呼吸しましょう。いまだに吸ってから吐いてしまう自分に気落ちしながらも、まあ吸ってしまったら、しっかり吐き切ることで、同じように吸えるものでもあります。半周ズレても気にせずに、深呼吸。しっかり吐いて、優しく入れる。新しいニュートラルを確認できたら、ゆっくり前にすすみましょう。

▲このページのトップに戻る