到着帳

到着帳.jpg

到着帳 というのを 新設いたしました。 

それなりに、飛び回っている 住職・・・。

 

(いねぇじゃねーか・・・ 住むのが職業じゃねーのか??)

(寺があまりにも、ちっちゃすぎて、いろんなことをやらんと住まんのですわ)

 

おこしくださった方のこころざしと

感謝の気持ちを 本尊様へ、

そして本尊さまからの 御回向 を させていただきます。

重ねて 先祖供養も つとめさせていただきます。

 


到着帳というのが 微妙に 良く (分かりずらい?)

さらに、マキマキの障子紙というが いとおかし。 

かしこ。

アウトロー

「アウトローですね」 

未来の住職塾 OB会が 都内の2寺院をお借りしながら開催されました。

その時に、言われた 私への 評価です。

 

うーん。 良いのか悪いのか・・・。

アウトロー」検索すると険悪で 漢字として

 外 道 」とすると とたんに 仏教用語になったりします。

 

長谷寺は、既存の寺院形態をとることは難しく

積極的に物事を実行しようと考えています。

曹洞宗はかなり完成した教団であり、

完成しているからこそ、固定された箇所もあり

その固定された箇所にコダワラズ行動しているので

アウトローと 評価されたのかな? とも感じます。

 

みんなの為の寺院になれれば

とてもうれしいですから。

みんなを みんなで おもてなし。

 

そだ、OB会で行きました寺院での企画

向源(こうげん) での主催者側 (というか、本人だ)

からの 説明をいただきました。

 

長谷寺でも、 平成25年10月19日(土)

つきあかりコンサート(仮称)を予定しております。

長谷寺なりの、 おもてなし  企画中です。

 

さらに追。 

死の体験旅行2.jpg

死への旅行体験 ワークショップも同時 に研修しました。

これは、20年前に1度。 今回で2度目です。 受講して

寺院がするべきことだと実感し、今後詳細を検討します。

もともとは牧師さんが、病院関係者の為の企画だったようです。

 「長谷寺版を作りこむ」

問題は、アフターフォローだと感じました。

健常者用に作成された内容と理解しましたが、

長谷寺には、さまざまな方おこしくださるため

受講後の補助にかなりのウエイトを置くことにします。

 死の体験旅行1.jpg

やっぱり アウトロー だね。

花壇に お花を

花壇をみんなで.jpg

みんなで、参道の花壇を植えました。

さすが、紫外線対策はバッチり でございます。

みなさまがた と お話をしながら植えました。

これから 夏です。熱に強いお花ってなんだろう?

と試行錯誤しながらも、三者、三様に、

微妙にレイアウトが違う点が独走的。(独創?)

 

ご参加いただいたみなさま、ありがとうございます。

 

次回は、   秋?

ミスティックリズム

提供は石橋.jpg

10年ぶりにディズニーシーに行きました。

毎年改善され、10年の厚みを感じました。

区画としては同じですが、

全く別の施設に来たかのようです。

もちろん

建設物に くもの巣 などが ない。

ホコリもたまっていません。

安全面に配慮され、

2時間待っても大丈夫な工夫が

あちらこちら。ファストパスなどなど

 

今回 スゴイ と感じたのが、

ミスティックリズム

この素晴らしき演出を

いかに、法事に取り込むか?

という課題を真剣に ずーっと考えていて

そのことを、同席した方にお話ししたら

大爆笑されました。

が、

意外と 本気です。

 

5年前に行った、ラスベガスマラソン。その時に見学した

o(おう と読みます)を思い出しました。

あの感動が、日本で感じることができて、

朝から晩まで、見放題 乗り放題。

ディズニーの 底力を 実感しました。

 


人の死は、 

周囲にいる方にとっては激動の転換点です。

(もちろん 本人が一番の・・・)

参列してくれた人や、自分の子供や孫にとって

驚くほどの衝撃です。

 

もう、二度と、じいちゃん(ばあちゃん)と話ができない。

本気で、自分の人生を感じる瞬間でもあるのです。

死。

それを実感したとき、はじめて

生、

を感じ、生きている間に 自分ができること。

やりたいことへ、突き進むためには、今何をするべきか

真剣に考えるきっかけになるのです。

 

人生を激変させるスイッチを

法話と共にそれ以上にしみこむように。

感動の 演出が必要だと 

感じて います。 

 

長谷寺独自の法要 

握手会に参加された方もおられるかもしれません。

 

まだまだ、改善点は やまのごとし

取り入れるべき先進の技法は海のごとく。

 

次世代の為にできることを 

長谷寺

大運動会

大 運動会.jpg

6月の1日は、地元 小学校の 運動会です。

炎天下の事故防止として、10月開催から6月に移動して2回目です。

今回、PTA役員として、参加です。 おもに担当したのが 

トイレ当番(男子の部)。←うすさま?

 

PTA役員さんの主要メンバーは おかあさん です。

お母さんチームは、なかなか、男子のトイレの点検に

いくことができないため。お役をいただきました。

 

さらに担当としては

開会式直前までは、車の交通整理として、

農協のグランドへ

荷物の搬入や、乗降の為のお手伝いをしました。

 

約1000人の生徒さんに両親や祖父母などを合わせると

4000人の一大イベント。

 

無事に開催、そして

無事に終了いたしました。

平時 3000歩程ですが、

この時ばかりは19000歩程 あるきました。

 


自分にとっても 母校の小学校ですが、

私の両親は共に学校の先生でしたので、

毎回 おなじ 日時で 別の運動会。

ということで、昼食の時間、一人で食べていて

あまり うれしい 記憶がないんですね。 

 

自分が親になった時は、一緒に食べたい。

の念願を 今回も叶えることができたことを

勝手に 「とってもうれしい!」 のです。

 

今年は 長男が6年生。

来年は 長女が1年生。

ということは、12年間!

・・・・・長い。

うすさま

烏枢沙摩明王

うすさまみょうおう

 

けがれを浄化することを

誓願としておられる明王である。

通身黒色で大忿怒の相をなし、

剣や縄をもっておられ、

東司の守護をしてくださるお方である。

 


私は

理由は ありませんが

直観的に、

このほとけさまが好きです。  なぜだろう??

 

 

うすさま 住職
火の神様 たき火が好き
通身黒色 かなり黒い
便所の浄め 東司掃除担当
ん? ない?
あれ? 表を使ってみただけ?

 

どうやら ただの あこがれ だったみたいですなぁ〜。

 

評価しすきる。

平成25年5月27日

 

 人は 1年で出来ることを過大評価しすぎる。

そして10年で出来ることを過小評価しすぎる。

アンソニーロビンソン。

 

成功の曲線というものがある。

知らないと、どれだけ努力をしても結果がともなわず

あきらめてしまう。 1年で出来ることと

10年で出来ることは大幅に違う。

 

 

「すべてにおいて評価判断をしない」 坐禅に参加された方の言葉。

 

 

修行道場で言われることは、

作務の最中は「雑巾になりきれ」とは

一つの事に集中せよ。ということ。

今、そのものに集中し、ひとつひとつを積み重ねること。

 

私たちは、1つ1つに評価をしすぎ ては、ないか?

坐禅はムダではない。10年先を見つめよ。

良い天気

とても良い天気なので

軽トラで あっちこっち 掃除をしてきました。

長谷寺はちょっとした高台にあるため、近所は

坂が多く 坂道は 舗装がそれなりに難しいのです。

(二級土木施工管理技士 なんて資格も取得済)

 

実は市道の坂道、舗装がよくないんです。

おそらく舗装時のアスファルト温度が

規定値を下回っていたのが原因かと・・・

(専門的すぎ?)

 

ということで、小石が ぽろぽろ と剥がれるんです。

なので、落ち葉を掃くというより、「小石を集める」

表現のほうが合っている ような清掃方法です。

 

そして、「巨大チリトリ」に たくさん入った小石は

ムダに重いのです。 即 軽トラに、積載していきます。

 

本気でやっていると、本職になってしまいますので

短時間で終了。 (それでも、大漁です)

 

おわって、長谷寺の 本堂にある 台所を清掃。

この台所 寺院建築から、使用日数はおそらく50日

を超えていないんじゃないか?というほど。

使用感がありません。(だから、めちゃ、埃だらけ)

 

本堂自体は、毎日掃除機で吸引しているのでそれなりに

キレイなのですが、(サイクロン式 ゴミ溜 毎回満杯(←高性能なの?))

まだまだ清掃箇所があるのが長谷寺の奥深さでもあります。

(でも、ちっちゃいお寺です)

 

さあ、梅雨の前に お掃除はできるだけ 進めておきましょう。


 

テレビカメラ

厚木伊勢原ケーブルネットワークの番組の一つに

わくわく情報局という独自の番組があります。

の、

本日は撮影日

 

TV旗.jpg

 

ひさしぶりに 新しい 企画に どきどき

おわってみれば、あっという間。

 

ならば、ということで、スタッフの皆様に

想いを旗に記していただきました。

 

(手前のお姉ちゃんは、 詩吟の講座で御出演)

 

放送時間は約8分。

撮り直しなしの臨場感がまあ・・・・・・、どないねん!

 

しゃべるのが本職なのに

 かぶっている 姿が

そのまま、映像にのこっていますぅ(笑)

 

TV撮影00.jpg

 

電車移動

最近は電車を使って移動することを覚え、

電車の中でできること。また、荷物にならぬもの。

ということで、あらためて、電子書籍を開き

ソフトとして購入した 本のタイトルが

 

夢をかなえるゾウキンドル版

 

たのしく、読んでいます。

難しい内容をここまで、砕いて 書く技術。

脱帽です。

 

仏教も同じこと。難しい書き方もあるけども

内容はいたってシンプル。

 

「 いかに生きるか 」

 

長谷寺ではガネーシャの変わりに 観音さんが ご案内します

(・・・・・の案内を住職がします)


 

電車移動は智慧の宝庫。

軽トラ

5月20日 住職塾 第一回 フォーラムが開催され、出席してきました。

北は 北海道 南は九州まで 全国からあつまりました。

住職 副住職 そして、たぶん、次を継ぐんだろうなぁ〜と感じている人等の

第1期 住職塾 終了アンド卒業のイベントでした。

 

宗派 寺院の規模、 志、 財政基盤 さまざまなことを超えて

固定概念を捨て、または、過去当たり前だった寺院の姿を模索

次の世代の住職を目指す若者との交流ができました。

 

塾フォーラム1.jpg

長谷寺はまだまだ伸びしろがあること。

住職だけで一手に引き受けることはできないこと。

 

まだまだ高い視点を目指すことができること。

を感じることができました。

 


みなさんとの会話の中で 「私が変?」と感じたのは

「お寺は軽トラを持つのが常識」 という固定概念が私にあったということ。

軽トラを持っていない寺院も多いということを知りました。

逆に言えば、軽トラを住職が必要としないお寺も多いということ。

みんなで、協力して境内整備をしているから、軽トラを寺院で所有

する意味がない。 というところ。

 

長谷寺は、その昔、農地解放という政策の時、ほぼすべて山林が

解放されましたので、面積として掃除する場所がありません。

しかし、厚木市長谷という地名の場所はすべて境内だと思うと

掃除する箇所は、格段に増え。厚木市内とすればなおのこと

神奈川、 関東、日本と拡大すると、もう、それは限りなく・・・。

 

you.jpg

まずは足元から。 

軽トラから・・・。

転読回向

転読回向.jpg

御寺院様より、維那(いの)の指南をいただきました。

地区、地方、修行道場他、多岐にわたる理由により

抑揚(ふしまわしの意)に差異があります。

 

の、まえに、さくっと 漢文が読めないと 話になりません。

 

なぜ、転読大般若を行うのか?

だれのために、どうして 行うのか?

ということを、説明をする役でもあります。

興味がなくとも、漢字を見ると だいたいの意味が

わかるのが、日本人の漢字能力の教育方針。

読むことにより、音声となった時、理解できる人の年齢に

線引きがあるかもしれません。

 

私が常に、心がけている事は、

少なくとも 一言一句、間違わぬよう

正確な口の形にての発音。

(だから、硬い(クリアーな) 音声となる)

 

練習あるのみ。


なお 6月1日に開催される 小学校の運動会は

生徒総数 900名を超える市内2位の高密な規模であり

親類父兄など参加総数は毎年4000名を超える大

イベントなため細心の注意が必要とのことでした。

技術の伝承

赤裸.jpg

この 1週間 いろんなことがあり、ムダに倍以上、楽しんでいます。

くるま の件。 

とにかく、へこむこともあり、分解したままの車も元にもどさないと

本当に17年前のゴミと化してしまうので、なんとか再開。

 

中古で購入した車の室内を分解、清掃、組み立て。です。

この車は、自動車会社が全盛期の時に設計されたことが

分解していくと、よくわかります。

 

根っからの職人肌の長老が

若い技術者に向かって 車の作り方、整備のしやすさ

など設計の考え方を伝授していったことが

部品の各所に表れています。

決して 手を抜かず、作りこんであります。

ゼロからの新設計ですので、自由に そして

素直な 作りこみがされていて、おかげで

分解、清掃、組み付けが とてもスムーズ。

 

私が過去、経験した車両の場合、 素手で分解作業を行うと

金属のバリなどで、手を切ることが多いのですが、

この車にはバリが ない。 

 

指導した 親父さんの 設計思想が 詰まった車両です。

とても 良い 品です。

(が、おそらく無指導の、ATミッションは難ありのようですぞ)

 


 

お釈迦様から 道元さん、けいざんさん、

など多くの老師を通して

伝わった 生き方としての仏法の伝授。

長谷寺では、住職の私が 貴方に伝授 いたします。

(難ですか?)

あゆchan

楽しむ禅.jpg

あゆチャンプレスに定期掲載枠をいただきました。

今回のお題目は、禅 です。

詳細は、プレスを見ていただければ うれしですが

内容は、楽しい禅と ツライ禅が 修行時代に ありました

という事。

 

いやぁ。原稿締切日に提出して、

そのまま掲載されているところが

荒削り。(の文章)

 

5月1日 配布の号は

市内のイケてるお店で無料でいただけます。

(長谷寺にも もちろん あります)←イケ寺?

saikai

住職のひとりごと 再開です。

 

http://www.choukokuji.jp/article/14255020.html

不瞋恚戒

 

熱しやすく冷めやすい 鋼(ハガネ)のように見えて

たたかれるとすぐへこむ ブリキのような心の持ち主の

私には 冷静になる 時間が必要であり

ひとりごとも、ちょっと おやすみいたしました。

 

( ちゃんと やすんでますかぃ? )

 

この1週間 イベントごとは盛りだくさん。

(正確には、諸問題への対応でございます・・)

お寺の須弥壇は 人形でいっぱいです。

 

ひな250501.jpg

まずは、再開のご挨拶。です。

導師とは?

4月29日

体罰は有効か?

 

指導される人から

指導する人へ

 

人間には感情があり

個別に運動能力性能が違い

個別に過去の生活習慣から動作量が違う

 

体力的 年齢や性別など筋量により運動能力に限界があり

時間をかけて運動能力を伸ばす必要がある。

 

精神も同じであり、過去の生活習慣により

自分の力量または、楽する量を決めている

それは自分で決めた量であり、基本性能を

大幅に抑えている場合もある。(逆もある)

 

個々に理解をし、個々に行動に移れるよう

今、行うことの理由を明確に示し、納得すれば

おのずと行動に移ることができる。

 

指導をいただいた時間に 感じたこと

不満に思ったこと、良かった事を 再考し

 

指導する立場になったとき、 改良し

相手がどのように感じ、今どのように対応するべきかを

判断し、伝えることを求められる。 

 

どの世界でも 修行の世界であり、

先輩と呼ばれる人はすべて導師である。

 

ゆいきょう.jpg

之を聞いて行かざるは導くものの過に非ず。 (遺教経より)

 

改めて問う

「 体罰は有効か? 」

PTA?

書きやすい 箇所から

 

小学校のPTA 副会長になりました。

 

学校関係の役で言えば、

高校で生徒会長を行って以来の

役職です。

 

(まあ、高校 「4年生!」 での会長だったのですが・・・)

 

(夜間だからねぇ)

HP お休み

HPを おやすみいたします。

洗車ボタン

洗車ボタンを押し間違えました。

ええ、

いつものことです。

自分の中のボタンです。

はい、故意に 間違えています

気にしないでください。

 

洗車ボタン.jpg

 

車ってこんなに室内小さかったかな?

と思えるほど、小型サイズです。

(さて、車両わかる?)

 

掃除機で、綿密に、吸引

その後、風呂場で残り湯と、固形石鹸とタワシで

洗浄。 

 

一般的には、洗わない場所ですが、

くるまには、こんな楽しみ方もあるという

発想の転換です。

 


心なんて 洗えない と 思う方も多いと思います。

車内を丸洗いなんて、自分ではできないと思っていませんか?

 

やってみると、意外と楽しめますぞ。

諸仏の偏在

 

迦葉菩薩、

 

例えば月が出ていないのを見て、

ある人がもう月は西に沈んでしまったと

思い込んでいることを考えてみよう。

 

 実際には西に沈んではいなかったのだ。

一方、ほかの地方では月が現れたので、

そこの人達は月が出たといった。

しかし実は月が出たということではない。

ただ山に遮られ見えなかったにすぎない。

実は月はすでに空にかかっており、

月そのものが出たり、

沈んだりしていたのではない。

 

 

 これと同じでブッダも本当は生ずることも滅することもない。

ただ生じたものはかならず滅することを教えるために涅槃を示している。

 

迦葉菩薩、

月を1つの方向からは半月に見えて、

ほかの角度からは満月に見えていることを考えるとよい。

人は半月を見たり、

満月を見たり、

あるいは月食を見たりするが、

月そのものは実際には大きくなったり小さくなったり、

欠けたり満ちたりしているのではなく、

いつも満月である。

 

 ブッダもこの月と同じである。

だからブッダそのものは常住不変だと説いた。

 

道元の考えたこと 田上太秀 p105より。

 

 


新潟の御寺院様に このようなことを言われた

人の死には2つある。

一つは、体  そしてもう

一つは、心 

 

体は、そのまま、おかえしする。借り物

心は、周りの方々の記憶からすべて消えた時。

 

ファーブル昆虫記のように、書籍となり人々の心に宿れば

不変とも言え、

孤独死という言葉が表現するように生きながらにして死を待てば

不必要と感じてしまう

 

あなたは、満月である。

「高き こころざし」 を 忘れず、他の為に歩め。

足跡は、後世への道しるべとなる。

石膏ボード

中央カンセー.jpg

地下の解体分解時に出た石膏ボードですが

保存して1年間が経過してしまいそうでした。

ので、やっと重い腰を もちあげて行ってきました

行き30分 降ろすに3分 事務処理10分 帰り30分

行動することが大切。

 

中央カンセー 時代の最先端の工場です。

この場所から廃棄物は出ず、

燃料や素材の材料として搬出されます。

 

(防犯パトロールしながら、上依知まで移動しました)


なお、石膏ボードは、雨にぬれると再生処理が難しいため

引き取ってもらえません。

不純物(木材など)が混入していると、処理代が増加します

確立した処理方法がありますので、 こわがらず 業者さんに

お願いしましょう。 餅屋はもちやです。 

 

 

(軽トラのタイヤが汚れているのは、この日 のままだから)

魚がいない!

やねよりたかい?.jpg

2週間ほどまえに、設置した、ポールに

やっとこさ、「こいのぼり」 がおよぎました。

 

おかたづけが進んでなくて、

不良在庫(地下解体時の石膏ボード)の山に

魚(こいのぼり)が、うもれていました。

 

と。いうことで

今回 も年期がはいりまくった(ボロボロの)

こいのぼりが 無事にあがりました。

 

 


 

(御自宅の こいのぼり お寺であげてみませんか?)

(上記のモノで、8M級の品でございます10Mまで イケます!)

(ただし、ちょっとでも、風が吹くとすぐに降ろしてしまいます)

(アルミポールのしなり具合に恐れて すぐに撤収・・・)

(それじゃ 意味がない・・・・・)

縁台

鈴木さん いつもありがとうございます。

塗装中.jpg

観音さまのお祭りが終了してから始まりました、椅子の制作のお話です。

 

新茶所.jpg

椅子の材木が古くなり、 新規で調達(おとなりさんからいただきました)し

その木材に、防腐剤をしっかりと塗りこみました、ベンチが完成しました。

みなさまどうぞ 御活用ください。

(超 眺めがいいです)

 

余った 木材から さらに

縁台.jpg

縁台も作成していただいております。

これは、お寺の日陰に置く予定で

涼みに来たみなさまに 

活用していただく予定です。

 

(おひるね に 最適?)

 

和田彰(完)

ポータラカ.jpg

7回にわたる私の連載におつきあい下さいまして、ありがとうございました。

このホームページに、このような形で記事を掲載してはどうか、と発案されたのはご住職でした。そして、実に肌理細やか、かつ優しいサポートを毎日して下さいました。私はただもう、大船に乗ったきもちで拙い文章を書くだけでよかったのです。

  今回ここ長谷寺で個展をひらくことができましたのも、ご住職はじめ、奥様、子供たち、ご近所の方々、わけても漆喰を塗られた鈴木さん、みなさまのご助力の賜物と、こころより深く感謝しております。毎日、鈴木さんとお茶を飲みながらお話するのが楽しみでした。会が終わると少しさびしくなります。  

最後に一点ご覧いただきたいと思います絵は、潜水艦ポータラカ号です。

  1965年頃「サブマリン707」という潜水艦の漫画が流行ったことがありました。私はその、潜水艦の絵と海の波の描き方が大好きで、よく真似をしました。

その幼時の記憶が、50歳になって浮上してきたのです。

  ポータラカは、観音浄土と訳されることもあります。遥か洋上の補陀落(ふだらく)、と私は理解しています。そこへ向けて、いわば心の船出をするのです。悲しみの果てなむところは未だ見えませんが、ポータラカ号は、きっと浮上します。    

浮上する。POTALAKA    2005年   キャンバスにアクリル絵の具    33cm×24cm

画・著 和田彰

 


 

 

法事のお経がタマ〜に聞こえる会場にて 「和田彰」展 4月21日まで。

 

 

和田彰(7)

花々の過失

花々の過失.jpg

 

「花々の過失」。かっこいい題ですね。私の発明ではなく、れっきとした原典があるのです。60年代の日本の若者文化を席捲したフォーク歌手、友川カズキの歌の題です。

花々が、まるで過ちのように乱れ咲く。そんな情景を描きました。  

この作品は、新聞紙に描かれています。紙の強度を増すとともに、なめし皮の艶のようなマチエール(材質感)を得るため、特殊な液体でコーティングを施します。それを床に置いて、黄色のペンキを直接手指につけ、その手をいわば盲動させて「色の動き」を描き出すのです。  

10本の指は、連続する激しい、優しい、細やかな、動きの中で、日常生活で忘れていた「自然」をとりもどし、自由闊達に奔るのです。そこは「指の野」なのです。

全長5メートルに及ぶ大幅の絵です。展示はその、部分です。    

 花々の過失     2003年   紙にペンキ   80cm×54cm(部分)

画・著 和田彰

 


他の作品の想いを聞けるのは 4月21日(日)まで 「和田彰」展にて。

 

人生を送る

石川県で生まれ、

19歳でお見合い結婚

22歳で第一子を

24歳で夫と共に満州へ

26歳で第二子を

終戦で、隣人も匿い、8畳に8人の生活

見よう見まねで、うどんを作り、商をおこし なんとか生活費をあつめる

帰国時 娘たちを 分けてほしいと頼まれても ガンとして拒否。

徒歩、貨車、バス、追い剥ぎ、

物々交換での食糧の確保。

3カ月かけて日本に戻る。

群馬、東京、そして、京都。

最終的には神奈川へ。 

多少のことは、気にもならぬ。

肝が 坐っていた わけである。

喜怒哀楽。さまざまなる 100年。

 


 

人生を送る、

人生を納める、

からだを返す、

ゆっくりと、ゆるやかに、年をかさね、静かに やすむ

 

まだ、これも、あれも、と、できるうちに精一杯に。

やがで、そのからだも 老いることはだれも 承知

 

やり残しの無きように。


人には三毒があると釈迦は言う。

むさぼり、 いかり おごり の3つである

三毒は人の心を汚すものだから

これらの心をはたらきを罪と呼んだ。

したがって、罪を除くことで心はキレイになると考えた。

 

三毒によって人は、悪いことをする。そして悪業によって報いを受けることになる。これを罪報という。

罪報には、生存中に受けるもの(現世罪報)と来世で受ける罪報(来世罪報)がある。前者は例えば刑を受けて、現世で刑に服するのは一種の罪報である。刑に服さないでも、互いに殺生が行われることも何かの罪報と考えがれている。すべての苦しみは端的にいうと三毒による罪報である。

 

来世に受けるのは、現在の行為に因る報いである。人は犯した罪に深く心を痛める場合があり、また、罪深い自分に目覚める場合もある。人は生涯の終りで過去の罪を滅ぼして(滅罪)、清々しい身で次の世を受けたいという気持ちになるのではないか。来世にどんな報いを受けるかわからない。それよりも、現世でさっぱりと滅罪していたほうがいいと考える。

 そこで、人は過去の行いを反省したり、また、来世への不安を抱いたりしながら、なにか滅罪の方法はないかと考えるようになる。

 古来、仏教ではブッダを心に見ること(観仏)や、ブッダや菩薩の名前を唱えること(口唱)や呪文を唱えることや、懺悔することなどによって滅罪できると説いてきた。

 第二章 .jpg

正法眼蔵では滅罪の方法を 5つ挙げている。

 

洗浄による滅罪

懺悔による滅罪

袈裟功徳による滅罪

帰依による滅罪

霊場巡礼による滅罪

 

 

和田彰(6)

3つの風景
 
今回は、風景画を3点とりあげてみます。


「風の中で」は、1981年の作。実際に戸外にイーゼルを立てて寒風の中独りで描いた記憶があります。

風の中で.JPG
「さみしいきもち」と評した若い人がいらっしゃいましたが、事実この絵を描いていたときはほんとうに孤独でした。そのころ観たエゴン・シーレ(19世紀末のウィーンで活躍した夭折の天才)の影響が色濃く出ています。

 


もうひとつの「風景」も、やはり戸外で描いたものです。

風景.JPG

今見ると、このスピード感がとても新鮮に感じられます。当時から描くのは速い方でした。先日お寺を訪れたイタリア系アメリカ人のかたに「日本の構図をイタリアの色彩で描いている」と評されました。「セザンヌを思わせる」という一部の評はしかし「やや言い過ぎ」です。1978年頃の作。


もう一点。「窓からの眺め」。

窓からの眺め.JPG

これはあきらかにマチスを意識しています。対象を単純化する過程で、色彩と筆触の要素に還元しようと試みています。大学のアトリエの窓から見下ろした風景ですが、遠く横浜の町が見晴るかせます。まだランドマークタワーの無い頃です。40年前の絵ではありますが、色彩といいタッチといい、我ながらシャープに見えます。それだけに、どこか痛々しくもあります。これも1978年頃。
 
順に、「窓からの眺め」  54cm×37cm   キャンバスに油彩   1978年
    「風景」       62cm×49cm   キャンバスに油彩   1987年
    「風の中で」         152cm×122cm   キャンバスに油彩  1981年

 


「和田彰」展 4月21日まで。(御本人が常駐しております)

和田彰(5)

ドローイング

DSC00782.jpg

ドローイング(DRAWINGS)というのは、ペンでも筆でも鉛筆でも、とにかく(線を)描くということです。

  この作品は、元々パレットとして使っていた紙です。最初は無意識に、筆を拭くつもりで水彩絵の具をなすりつけていたものですが、ある時点から絵になって来たのです。

少し絵にしてやろうという下心ないしは野望が出てきたわけです。

自由、というか滅茶苦茶な「なぐりがき」ですが、計算したものには無い華やかさにあふれている様に見えます。

こういう「絵」なら、このホームページをご覧の皆さまも気軽にトライしてみることができると思います。

 端で見ている人の目には、ちょっと「心配な人」と映るかも知れませんが、何、かまうことはありません!

        ドローイング   2006年   紙に水彩   51cm×32cm

画・著 和田彰


特別会場のフローリングも手作りです(素人軍団は水平を保てたか?)「和田彰」展 開催中 21日まで

 

現況(特別会場)

地下会場.jpg

現在と 過去と

床。作業中.jpg

 床の工事?

はじめてでしたから

やったことがなく

色が白い断熱材を使ってしまっているところが、難?でした。

 

和田彰(4)

「CANON  音を観る」

音を.jpg

 

 

今回は、少し年代は飛びますが、私の最新作についてお話しようと思います。「CANON  音を観る」という絵です。

過日、「観音様は音を観ます」と、ご住職に教えていただきました。私なりに考えてみますと、「音を観る」とは、「見えないものを観る」ということではないでしょうか。「見えないものも見えるものも観る」というべきでしょうか。

  即ち、すべてを観ているという存在が観音様なのか、と私は思うのです。

先週、千葉県の銚子に出かけた際、ホテルから眼下に太平洋を望むことができました。海はかなり荒れて、白い波頭がいつ終わるともなく寄せては返すのを繰り返しています。

これがいつ始まったのか?と問うと、気が遠くなります(というより気が狂います)。観音様が音を観るというのはおそらくこういうことなのだ、とその時思ったのです。 その、観音様が観ていらっしゃる「音」を、絵に描いてみたい。そう考えて描いたのがこの作品です。CANONとは、フーガと同じでいわゆる輪唱のことです。

  2013年4月5日に完成(一応の)をみました。この絵も、エックス線を当てるようにして見ていただけると、塗り重ねられた幾層もの絵の具が見えたり見えなかったりします。その繰り返しの中で、もしかしたら「音が観える」かも知れませんね。      

CANON  音を観る      2013年  キャンバスに水性塗料  63cm×63cm

著・画 和田彰


手作りで完成した 純白の漆喰の会場にて 「和田彰」展 開催中 21日まで
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