行持道環

仏祖の大道かならず無上の行持あり、道環して断絶せず。発心・修行・菩提・涅槃、しばらくの間隔あらず、行持道環なり。

仏陀と祖師方の悟りの修行にはからなる最上の修行の持続がある。繰り返して、切れ目がない。やってみたい、励んで身体を用いて鍛錬する。迷いから目覚めて、心が安らぎにつつまれる。これには隙間がないから行持道環といいます。

 お釈迦様の受け止め方にナルほど!と納得できるから、代々受け継がれて今に至っているのです。「発心」なにそれ?知りたい!学びたいと、好奇心が湧いたら、やってみるはじめてみることが大切です。「修行」 始めは固定観念みたいに、自分の殻があるから、上手くいかなくて悩んだりするけれども 「菩提」 コツみたいなものがつかめてくると嬉しくなってきます。「涅槃」 そしてなるほど、これをつたえたかったのかーって実感できます。

 すると、さらにおもしろくなって、じゃあ、ココをかえてみたらどうなるかな?なんて好奇心がわいてくるから、またまたやってみるのです。これを行持道環といいます。

 目の前に滑り台があるとします。昔は滑ってみましたね。大人になると恥ずかしくて最近は遠ざかっていますが、滑り台があるとなぜかワクワクします。滑っている時の気持ちってどんなだろう?やってみる?と階段を駆け上がってみる。低く感じていた頂上に立ってみると意外と高く感じてみたりしてチョッとドキドキします。上手く滑れるか?ズボンが汚れないか?回りから変な人と思われているのではないか?なんて考えるよりも、滑ってみようと滑りだす。下がりながら移動をする不思議な感覚と共に風を感じ、歩かずに移動できる不思議な感覚。これはスゴイと思った時には下まで到着。あっという間でもあって、もう一回と階段を駆け上がる。今度は少し助走をつけてみたり、摩擦を考えてみたり、重くしてみたり、工夫してくりかえしたくなる。 

 永平寺の坐禅堂で感じた禅の感覚に、皮膚が感じる世界が急速に広まって、頭の中で考えていたこと、次にしなければならない課題など、全部おいて集中する。気持ちよく坐る。気持ちが整うと課題が浮かんでくるので、それへの対応を考えていないようにしたいのに浮かんでくる。これには この方法がいいかな?と決めて足をほどいてやってみる。やってみると、また課題が見えてくるから、結果を受け止めながら、また坐ってみる、失敗の理由を考えて、改善点を考えて、実際にやってみる。成功しても失敗しても、別の方法だとどうなるか?行う事を持ち続け、お釈迦さまの受け止め方をもってくりかえす。

 

仏道の考え方はとにかく 素直に感じて、素直に納得して、素直は対応策を見つけて、 素直にやってみる。 結果を素直に感じて、素直に納得して、素直な対応策を見つけて、素直にやってみる。楽しみながら、行い続ける。これが仏道の環、行持道環なり。

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